右輪台山のしだれ桜のお話(その1)

この週末、県内外から沢山の方にお運び頂いた、福島市松川町水原地区にある「右輪台山(うわだいやま)のしだれ桜」

私は並木道の出口で、お車でいらっしゃる方へのご案内を担当させて頂きました。ご来訪頂いた皆様、ありがとうございました!

 

「こんないい場所がある事を、地元なのに知らなった」というお声を多く頂戴しました。この場所は、今年初めて福島市の「ふくしま花回廊」に仲間入りをさせて頂きました。最近少しずつ知名度が上がってまいりましたが、これまでガイドブック等で紹介される事はあまり無く、パンフレットや地図は今もありません。なので、せっかくの春、なぜこの地に桜並木が出来たのかのお話を少しご紹介させて頂きます。右輪台山のしだれ桜を育てる会・会長さんにお伺いしたお話です。

 

今から30年ほど前から、松川町では「21世紀の将来の姿を自分達で作り上げる為」の活動が行われていました。「過疎化が進む地域を若者が戻ってくる魅力ある地域に」と、歌謡ショーを開いたり、地域の風景を撮影しカレンダーをつくったり、桜やさるすべり・紅葉等を植えたりなさっていたそうです。1995年に福島国体が開催された際には、県道52号線の関根~狼ヶ森の道路沿いに、水仙や彼岸花の球根を植えたそうです。原発災害の際、除染で掘り起こされてしまったものの、球根を植えなおす活動が今も続いています。

 

関根から見た、県道52号線・狼ヶ森方面の眺め

 

活動を続ける中で、「長い目で見た、自然を活かした活動をした方がいい」という専門家の方からのアドバイスがあり、水原地区では「花の里づくり事業」を行い、1,000本のしだれ桜の苗木を植える事にしました。この苗木は、水原地区の全ての家庭と神社・集会所等に配布されました。そして残った苗木108本を、当時、耕作放棄地となっていた右輪台山の桑畑に植える事にし、まずは桑の木を堀り、根を取る事から始めました。この場所が、現在の桜並木がある場所です。1999年、今から20年以上前のお話です。

 

桜並木に、竪穴式住居があります。

 

 

もともとこの道は、リアカーが通れる位の道幅でした。時代が移り車社会となったことにより、道を広げ、農道を整備する事になり、発掘調査が行われた際に発見されたのが、縄文時代の住居跡でした。ここから発掘された遺跡は現在、福島市内の「じょーもぴあ宮畑」に展示されているそうです。

 

せっかくなので地域の力で、竪穴式住居を復元する事にしました。日本各地にある、復元された竪穴式住居への視察を重ね、2015年、現在ご覧いただける竪穴式住居が造られました。縄文時代の造り方に倣い、骨組みは全て荒縄で縛られていて、釘は一本も使われていません。今年、3回目の屋根の吹き替え作業が行われました。ちなみに「宇輪台」は「右輪台」が正解です。この地区の字(あざ)名にもなっています。

 

 

竪穴式住居は、ご自由に中へお入り頂く事が出来ます。右輪台山へお越しの際は、ぜひ縄文人の気分も味わってみてくださいね!